街と共にある餅屋として、これからも
/ 更新日 / 2020.07.16
餅の星野屋・星野輝彦さん
星野屋創業は昭和8年。私の祖父が店を開きました。
かつて山形市旅篭町や木の実町あたり一帯は賑やかな商売のまちで、「栄町(さかえまち)」とも呼ばれてきました。かつての星野屋があった長屋には肉屋や魚屋も並び、ちょっとした商店街でした。ご年配のお客さんのなかにはいまでもこの辺を「栄町」と言う方がいらっしゃいます。
祖父も父も、このまちで餅屋を営んできました。特に父が2代目として働いた時代はまちに活気があり、店を開けているだけであたりまえのようにお客さんが注文に来てくれました。市内の餅屋も数多く、30軒近くもあったのではないでしょうか。それぞれがそのまちをテリトリーとして商売してました。そのまちで祭りやイベントが開かれるハレの日には、大福や赤飯をたくさんつくったものです。私も幼い頃から「お前、店を継ぐんだろ」って周りの親戚からも言われて育ったので、家業を継ぐことをあたりまえに思っていました。
高校を卒業すると仙台へ行き、調理師専門学校に入学しました。和洋中など様々な料理や菓子づくりの基礎をひととおり学んで、そのあとは仙台市内の菓子店に勤めました。何年か働くうちに母親が「お父さん、体の具合が良くないよ」って言うようになって、それで仙台の仕事を辞めて山形にUターンして帰って来ました。でも、悪いところなんか全然なくて…。ウソだったんです。
それで、父と母が切り盛りしていた店に加わった私がやりはじめたのは、父が店に並べていた醤油・あんこ・ぬた(ずんだ)という団子3種と大福とゆべしを主軸にしつつも、自分の新しい商品をつくることでした。それで売上げが伸びることもあれば、売れないものもあり…、試行錯誤の繰り返しでした。
つづく